2010/10/04

チーム全員で走ってみたら

練習の最後にチーム全員で走った。
もちろん少年野球での話し。

グラウンド35往復を22分でという目標。

一気に走り出す選手たちに、
最初から言い訳をいい始める選手。

途中、どこどこが痛いと(あきらかに)弱音を言う選手。
(もちろん歩いていいと伝える)
失速するもの最後まで走りきろうとする選手。

たった、「走る」という練習に、
いつもの選手たちの取組み姿勢が、
そのとおり映し出される。

グラウンドで気持ちのない選手は、
まず、「走る」ことができるようになってもらおう。

2010/09/10

皆勤賞の意義

僕が関わるチームには皆勤賞制度がある。

意義や目的についてのアナウンスはないが、
小学4年生までのキッズ向けのツールだと思う。

一方、高学年になって「皆勤賞狙い」はちょっと違うと思う。

高学年は結果で勝負。
そのためには1日たりとも休まず練習したい!の結果として、
皆勤賞が附属してくるなら納得。
とはいえ、キッズ時代さながらに、「とりあえず出社」する選手が散見される。

こうして現代社会の予備軍は輩出されているのかと思うと、
社会問題の源泉は大人にあり。

早くこの制度の位置付けを見直したいものです。

2010/09/08

野球の神様

最近、野球の神様という言葉が好きになった僕。
桑田真澄氏の「心の野球」を読んだことがきっかけ。

この前の日曜日は秋のリーグ戦の第三戦があった。

第二戦で途中交代となった息子は、
1番から5番に降格?したものの、3の2。
うち1本は会場ルールにも助けられてのランニングホームラン。

この一週間、暑い中、走りこみや自主練をしたことを野球の神様は見てくれていたのかなと。

親やコーチや監督にほめられるより、
野球の神様に微笑んでもらうのが一番嬉しいに違いない。

桑田真澄氏ありがとう!

2010/09/02

美しいカラダと書いて躾

先日、お葬式に行ってきた。
小学校二年生のとき初めてお葬式に行って依頼、何度目だろう

変な話しだけど、僕はあるときからお葬式がとっても好きになった。
理由は省略。
そして今回も葬式からとっても大切な学びがあった。

躾は言葉ではなく父ちゃんの背中でみせるもの。

ミシンに生涯を捧げた生き方から、
子供たちは立派に育つという知恵を残した故人に、ありがとう。

2010/09/01

マークアレンの言葉

今日はトライアスロン界の英雄であるマークアレンの話。
今月配本されたtriathron tripのインタビュー記事内に素晴らしい言葉があった。

彼は禅マスターとも呼ばれ、
トライアスロンを引退したあとは、サーフィンを楽しんでいるという。

そんな彼の言葉を紹介します。

私がいつも念頭においていることが2つあります。
「恐れ」と「あきらめないこと」です。
(中略)
その2つの感情のすき間に「無の境地」があり、
その境地に到達することが肝要なのだと教えてくれました。
(1995年のhawaii ironman大会を振り返って)
(中略)
やめたいと思ったところから一歩踏み出すと何かが待ち受けていて、
それを経験することによって人生の教訓を得ることができます。
このような長い過酷なレースにでることが「祝福」であることを
考えて欲しいのです。

信念を持つ人は、仕事でもスポーツでもアートでも人生でも、
一歩踏み出すことの大切さを知っていると思う。

すがすがしい気持ちにさせてくれたマークに感謝!

2010/08/11

受身的な野球少年からの脱出

残念なことに受身的な野球少年が多い。

毎週週末になれば集合時間には来る。
ノックになれば守備をする。
打ちたいか?ときけば打ちたいという。

でも、
笑顔、ハツラツさ、球際の強さ、無心さ、
は感じない。

なんでかなぁ?

まるで、
電源を押したら始まるゲームのプレイヤーと近い印象。
(一回あたり100円払っていた時の方が真剣にゲームしていたよね。)
もっと言うと、
毎朝なにも考えずに出社する大人にも見えてきてしまう。

野球、ゲーム、勉強、仕事、人生、、、

強い意思を持たないと、
今日の明日は勝手にやってくると思い込んじゃう大人になってしまう。


やりたいなら、
自分の体力と集中力と相談して、
「できる」「できない」を発信できる野球少年になって欲しい。

「できる」と「できない」に優劣はなく、
「素直に言える」「自分で決める」ことのほうがとっても大切だよね。

2010/08/09

甲子園のシーズン

夏の高校野球が来るたびに思い出すことがある。

僕が高校1年生のとき、
大阪府下予選でコールド負けしたあと藤井寺球場を背に歩きながら、
同級生のよっこんと、
「来年は勝とうな」と言って周りを気にせず号泣したこと。

あのときの、
空の青さと、
雲の白さと、
風の匂いと、
全てがセットになって記憶に刷り込まれているんだよね。

透明な気持ちで白球を追いかけた時の美しい心を
おとなになった今でも持ち続けていたいと、
夏が来るたびに、思う。